実に適切な例を使って説明するという行き方であり、また如何なる教科書とも類を異にしたオリジナルなものであったという事は同君の講義を聞いた高弟達の異口同音の証言によって明らかである。
 学会などにおけるディスカッション振りにも、やはり優れた頭脳と蘊蓄《うんちく》を示して、常に「最後の言葉」を話す人であったそうである。
 学生の卒業論文などについても指導甚だ懇切であった。初めにはいきなり酷く叱られて慄《ふる》え上がるが、教えを受けて引下がるときは皆嬉々として引下がったという話である。卒業後の就職などについても労を惜しまず面倒を見た。また、すべての人の長所を認識して適材を適処に導く事を誤まらなかった。晩年大学蹴球部の部長をつとめていたが、部の学生達は君を名づけて「オヤジ」と云っていた。部内の世話は勿論、部員学生の一身上の心配までした。
 鉄腸|居士《こじ》を父とし、天台道士を師とし、木堂翁《ぼくどうおう》に私淑していたかと思われる末広君には一面気鋒の鋭い点があり痛烈な皮肉もあった。若い時分には、曲ったこと、間違ったことと思う場合はなかなか烈しく喰ってかかることもあったが、弱いものにはいつもやさ
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