輪郭を明快に決定するという行き方であったように見える。解析の方法でも、数学者流に先ず最も一般の場合を取扱った後に a=0 b=0 c=0……と置く流儀ではなかったようである。実験の方でも高価な既成の器械を買ってやるよりも、自分で考案した一見じじむさいように見える器械装置を使って、そうして必要なる程度での最良の効果を収めることに興味をもっていたように見える。実験上のテクニックでも人の真似をするよりは何かしら一工夫するのが好きであった。例えば短時間の強い光源としてのアンダーソンの針金の電気爆発を使う代りに水銀のフィラメントの爆発を使ったり、また電扇の研究と聯関して気流の模様を写真するために懐炉灰《かいろばい》の火の子を飛ばせるといったようなことも試みた。無闇に読みもしない書物を並べ立て、用もない孫引きの文献を並べるような事も好まなかった。
 末広君の独創を尊重する精神は、同君の日本及び日本人を愛する憂国の精神と結び付いて、それが同君の我国の学界に対する批判の基準となっていたように見える。「ケトーの真似ばかりするな」これが同君のモットーであった。この言葉の中には欧米学界の優越に対する正当なる認識と尊敬を含むと同時に、我国における独創的の研究の鼓吹、小成に安んぜんとする恐れのある少壮学者への警告を含んでいたのである。「どうも日本人はだめだ」と口癖のように言っていた、その言葉の裏にもやはり酌んでも尽きない憂国の至誠が溢れていたのである。米国講演の旅から帰った時新聞記者に話したという我学界への苦言にも、日本の学者が慢心するのを心配している心持が十分に酌み取られる。
 同じような内省的な傾向から、自分でも人でもいわゆる「大家」になることを恐れていた。かつて筆者が不精で顋鬚《あごひげ》を剃るのを怠っているのを見付けた時「あごひげなんか延ばして大家になっちゃ駄目だぞ」と云った事を記憶する。この辛辣にして愉快なる三十棒の響きは今にして筆者の耳に新たなるものがある。ちなみに君は生涯髭を蓄えず頭も五分刈であった。着物などには一切構わず、時にはひどい靴をはいていた。住宅を建てた時でも色々な耐震的の工夫をして金目をかけたが、見かけの華美を求める心はなかったようである。
 末広君の大学における講義にも特徴があったそうである。分量を少なく、出来るだけ簡易平明にして、しかも主要な急所を洩れなく、また
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