錯覚数題
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)熊《くま》さん
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)故|長岡《ながおか》将軍
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和八年八月、中央公論)
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一 ハイディンガー・ブラッシ
目は物を見るためのものである。目がなければ外界の物は見えない。しかし目が二つあれば目で見えるはずのものがなんでも見えるかと言うと、そうは行かない。眼前の物体の光学的影像がちゃんと網膜に映じていてもその物の存在を認めないことはある。これはだれでも普通に経験することである。たとえば机の上にある紙切りが見えないであたり近所を捜し回ることがある。手に持っている品物をないないと言って騒ぐのは、漫画のヒーロー「あわてものの熊《くま》さん」ばかりではない。
留守にたずねて来た訪問客がだれだかよくわからない場合に、取り次いだ女中に「鬚《ひげ》があったか、なかったか」と聞いてみると、大概の場合に、はっきりした記憶がない。故|長岡《ながおか》将軍くらいの程度ならばこういう認識不足はないであろうが。
知人の家の結婚|披露《ひろう》の宴に出席する。宅《うち》へ帰って「お嫁さんはきれいなかたでしたか」と聞かれれば「きれいだったよ」と答える。およそ、きれいでない新婦などは有り得ないのである。しかし、どんな式服を着ていたかと聞かれると、たった今見て来たばかりの花嫁の心像は忽然《こつぜん》として灰色の幽霊のようにぼやけたものになってしまう。
「あなたの懐中時計の六時の所はどんな数字が書いてありますか」と聞いてみると、大概の人はちょっと小首をかしげて考え込んでしまう。実物を出して見ると、六時の所はちょうど秒針のダイアルになっているのである。
こういう認識不足の場合はいいが、認識錯誤の場合にはいろいろの難儀な結果が生じる。盗難や詐欺にかかった被害者の女師匠などが、加害者でもなんでもない赤の他人の立派なお役人を、どうでもそうだと言い張る場合などがそれである。
突発した事件の目撃者から、その直後に聞き取ったいわゆる証言でも大半は間違っている。これは実験心理学者の証明するとおりである。そのいわゆる実見談が、もう一人の仲介者を通じて伝えられる時は、もう肝心の事実はほとんど蒸発してしまって、他のよけいなものやまるで反対のものなどが入り交じってしまっている。写真をとっても証拠にならぬ場合のある事はアムンゼンの飛行機の行くえに関する間違いの例でも知られる。
新聞記事の間違いだらけな事はもちろん周知のことであるが、きのうの出来事さえ真実が伝わらぬとすればいわゆる史実と称するものもどこまで信用できるかわからない。ことによると九十パーセントが間違いかもしれない。
いっそのこと、全部間違いばかりと事がらがきまればかえって楽であるが、困ったことには時にほんとうなことが交じるので全部捨てるわけにゆかないから始末が悪いのである。
われわれの目も時々われわれをだますが、いつもだますと限らないで、時々は気まぐれにほんとうのものを見せてくれるので困る。そうでなければ目などはないほうがたしかに利口になれるであろう。
ハイディンガー・ブラッシと称するものがある。偏光を生じるニコルのプリズムを通して白壁か白雲の面を見ると、妙なぼんやりした一抹《いちまつ》の斑点《はんてん》が見える。すすけた黄褐色《おうかっしょく》の千切《ちき》り形《がた》あるいは分銅形をしたものの、両端にぼんやり青みがかった雲のようなものが見える。ニコルを回転すると、それにつれて、この斑点もぐるぐる回る。自分も学生時代にこれに関する記事を読んでさっそく実験してみたが、なかなか見えない。そのうちに、ニコルをやけに急激にねじ回していると、なんだか、時々ぱっぱっと動くものがあるような気がするので、それに注意を集注して見ると、なるほど、ちゃんと書物に記載してあると同じようなものが見える。いや、見えていたのである。一度気がついてみると、どうしてこんな明白なものが、今まで見えないでいたか、ほとほと不可解に思われるほどにそれほどに明瞭《めいりょう》に見えるのである。そうなると、今度は、別の目的でニコルをのぞく時にでも、これがあまりによく見え過ぎて目的とする他の光象を観察する邪魔になるのである。故|野口英世《のぐちひでよ》博士が狂人の脳髄の中からスピロヘータを検出したときにも、二百個のプレパラートを順々に見て行って百九十何番目かで始めてその存在を認め、それから見直してみると、前に素通りした幾つもの標本にもちゃんと同じもののあるのが見つかった。
ハイディンガーがこの現象を発見してまもなく、ヘルムホルツがこれをたしかめようと思って実験したがどうしても見えなかった。それから十二年後になって、ある日ひょいとニコルをのぞいて見たらただの一ぺんでこれが見つかったそうである。人により、時によりこれの見え方に異同のあるのも事実らしい。
これは眼底網膜の一部が偏光で照らされた時に生じる主観的生理的現象である。「幽霊」などと似たところもあるが、それよりはもう少し普遍的な存在である。
これとは全く縁のないことではあるが、時代思想の「かたより光線」で照らされた多数の人の心の目にきわめてはっきり見える主観的生理的影像が、為政者や教育者の目に見えないことがあると、いろいろな重大な騒ぎが起こったりする。昔からの思想争闘弾圧史はみんなそれから来ている。ある時はまたXの方向に振動する偏光を見ている一派と、Yの方向に振動する偏光を見ている他の一派とがけんかをする。言う事が直角だけちがう。しかし、ちょっとニコルを回してみれば敵の言いぶんは了解されよう。かたよらぬ自然光で照らせば妙なブラッシの幽霊などは忽然《こつぜん》と消滅するであろう。「心境の変化」で左翼が右翼にまた右翼が左翼に「転向」するのも、畢竟《ひっきょう》は思想のニコルが直角だけ回ったようなものかもしれない。使徒ポールの改宗なども同様な例であろう。耶蘇《やそ》の幽霊に会ってニコルが回ったのである。しかしどちらへ曲げても結局偏光は偏光である。すべての人間が偏光ばかりで物を見ないで、かたよらぬ自然光でも物を見るような時代がもし来れば、あらゆるデマゴーグは腕をふるう機会を失うであろう。
二 つるばらと団扇とリベラリスト
鉢植《はちう》えのつるばらがはやると見えて至るところの花屋の店に出ている。それが、どれもこれも申し合わせたようにいわゆる「懸崖《けんがい》作《づく》り」に仕立てたものばかりである。同じ懸崖にしても、少しはなんとかちがった格好をしたのがあってもよさそうに思われるが、どれを見てもまるで鋳型に入れたようなもので、ばらの枝がみんな窮屈そうな顔をしてからみ合っているのである。こんなにはやらない前の懸崖作りはもう少しリベラリスティックな枝ぶりを見せていたようである。
来客用の団扇《うちわ》を買おうと思って、あちこち物色してみて気のついたことは、われらの昔ふうの団扇の概念に適合するようなものがほとんど影をかくしたことである。丸竹の柄《え》の節の上のほうを細かく裂いて、それを両側から平面に押し広げてその上に紙をはり、その紙は日月の部分蝕《ぶぶんしょく》のような形にして、手もとに近いほうの割り竹を透かした、そういうものが、少なくもわれわれの子供時代からの団扇《うちわ》の定義のようなもので、それ以外のものは言わば変種のようなものであった。こういう昔の型には、研究してみたらおそらくいろいろな物理学的の長所があるだろうと思われる。このほうが風を生ずる点で、効率《エフィシェンシー》がいいという説もあるがこれは研究してみないとわからない。しかし撓《しな》いぐあいはたしかにこのほうが柔らかで、ぎごちなくないように思われる。これに反して木製の柄《え》で割り竹を無理にしめつけたのは、なんとなく手ごたえが片意地で、柄の付け根で首がちぎれやすい。
そんな理屈はどうでもよいとして、こうまでも「流行」という、えたいの知れぬ人工的非科学的な因子が、送風器械としては本来科学的であるべき器具の設計に影響を及ぼすものかと驚かれるくらいである。しかし、考えてみると、団扇や扇のようなものは元来どこまでが実用品で、どこまでが玩弄品《がんろうひん》であるか、それはわからない。玩弄品としては、年々目先が変わって、それで早くこわれてしまうほうがいいに違いない。
ただ困るのは、資本家でもなく、民衆でもなく、流行にかまわぬ趣味上のリベラリストだけであろう。しかし、机の引き出しを引っぱればあくものと思っているのが錯覚であるように、自分のほしいものが市場にあるはずだと思うのはやはりはなはだしい錯覚であるに相違ない。
三 捜すものは無い
捜さない時には、邪魔なほどに目の前にころがっているものが、いざ入用となって捜すときはなかなか見つからない。こういう気のする人は少なくないであろう。
そういう特別な場合の記憶だけが残存蓄積するせいもあろう。捜してすぐにあった場合は忘れるからである。
しかし、また、実際、特別緊急な捜しものをする場合には、心にこだわりがあって、自由な観察と認識の能力がいくぶん減退しているためもたしかにいくぶんかはあるらしい。
これとはまた少し趣のちがった「捜すものは無い」場合がある。
大きな書店の陳列棚《ちんれつだな》をひやかしていると、実にたくさんの本がある。俳句の本、山登りの本、唯物論的弁証法の本、ゴルフの本、なんでも無いものはないように見える。ところが、何かしらある些細《ささい》な題目についてやや確実詳細な具体的知識を得たいと思って参考書を捜すとなってみると、さて、なかなか容易に自分の要求に適応する本は見つからないものである。
たとえば、ばらの葉につくチューレンジ蜂《ばち》の幼虫を駆除するに最も簡易で有効な方法を知りたいと思って、いろいろな本を物色してみたが、なるほど、多くの本にはこれに関する簡単な記載はあるが、書き方がたいていきわめて概念的で、本を読んだだけで、具体的に正確に直ちに実行に移しうるものはほとんど見つからなかった。たとえば亜砒酸鉛《あひさんえん》を使用すればいいが、劇毒であるから注意を要するとあるが、その注意のしかたは一言も書いてないから、この記事を読んだだけではちょっと物知りになるだけで実行できない。それで本のほうは断念して、園芸好きのR研究所の門衛U君に教わって理研製殺虫剤ネオトンのやや濃度の大きい溶液で目的を達せられることを知った。園芸書の著者になってみると、何々会社製の何剤がいいなどと明白に書くのは何かいけないさしつかえがあると見える。ラジオ放送と似た禁令があるかもしれないが、読者の要求に対しては不親切であると思われる。
墨の製法を書いた本はないかと思って気をつけて見たが、なかなか見つからない。化学的染料塗料色素等に関する著書はずいぶんたくさんにあるが、古来のシナ墨、それは現在でもまだかなりに実用に供されているあの墨の詳しい製法を書いたものは容易に見つからない。昔の随筆物なども物色してみたし、古書展覧会などもあさって歩いたがやっぱり自分の目的に適合するものは無い。ところが、自分の研究所のW君のにいさんが奈良《なら》県の技師をしておられるというので、これに依頼して、本場の奈良で詮議《せんぎ》してもらったら、さっそく松井元泰《まついげんたい》編「古梅園《こばいえん》墨談」という本を見つけて送ってくれたので、始めてだいたいの具体的知識に有りついた。なお後にこのほかに松井元惇《まついげんじゅん》の「梅園日記」というもののある事をも知った。ともかくこれで製造法のまねぐらいはできるようになった。自分の最初の捜し方が拙であったことはたしかであるが、それにしても、本屋に並んでいる書物が「類型的」であり「非独創的」であり、「懸崖《けんがい》作《づ
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