く》りのつるばら」のようなものであるという例証にはなるかと思う。もう少し専門学術的な書物になると、特にドイツなどには実にいろいろの特殊問題に対して、それぞれ便利な書物ができているのに驚くことがある。それにしても、題目の種類によっては、少なくも日本の本屋で捜そうとするとなかなか容易に見つからぬこともしばしばである。
以前に「鳥類の嗅覚《きゅうかく》」に関する詳しい記事のありそうな本を捜していた時に、某書店の店員が親切にカタログをあさってともかくも役に立ちそうな五六種の書名を見つけてくれて、「海外注文」を出してもらったが、一年以上たってもただ一冊手に入っただけで、残りのものは梨《なし》のつぶてである。
このごろでは「夜光虫ノクチルカ」その他の発光動物に関するものを捜しているが、まとまった手ごろな本はまだ見つからない。おかしいことには自身の捜さないのではずいぶん特殊な狭い題目の本が有り過ぎるほどあるような気がするのである。
同じことを書いた本が幾種類もあるより、まだ本になっていないことを書いた本が一つでも多く出たほうが読者には便利であるが、著者ならびに出版者にとっては、やはり類型主義のほうが便利であると見える。書物でも、やはりヨーヨーのようなものである。
話はちがうが、せんだって日比谷《ひびや》で「花壇展覧会」というものがあった。いろいろのばらがあった中に、柱作りの紅ばらのみごとなのが数株並んでいた。燃えるような緋紅色《ひこうしょく》の花と紫がかった花とがおもしろく入り交じって愉快な見ものであった。なんという名のばらか知りたいと思ったが、現場には、品種名の建て札もなく、まただれの出品かもわからなかった。数日後にまた日比谷で「ばらの展覧会」が開かれたので出かけて行って、行き当たりばったりに会の係りの人に先日の柱作りの品種を聞いてみたがわからない。そのうちに、あれはたしか横浜《よこはま》のS商会の出品だったから、あちらの同商会の出張所で聞いてみたらいいだろうと教えてくれる人があった。それでさっそくそのS商会の陳列所へ行くと、係りの店員は先日の「花壇展覧会」は見なかったから知らないという。いろいろ問答をしてそこに出陳されている切り花を点検した結果、たぶんそれはローヤル・スカーレットと称する品種であるらしいというくらいのところまではやっとこぎつけることができた。
こんな些細《ささい》な知識を求めるのでも容易なことではない。いやむしろ些細なことだからむつかしいかもしれない。
学問のほうでも当世流行の問題に関する知識を求めようとする場合は参考書でも論文でも有り過ぎて困る。しかしそういう本や論文を読んだだけで、自分の疑問のすべてを解かれるためしはほとんどない。くすぐったいところになると、どの本を見てもやっぱり、くすぐったい。わかりきったことは、どの本を見ても明瞭《めいりょう》である。
実験的研究に関する書物や論文を読んでも記載を読んだだけで、そのとおりやってもできないことはよくある。肝心の要訣《ようけつ》がぼかしてある場合が多いのは著者の故意か不親切かひとり合点かわからない。芸術家も同様に科学者も自分のしていることの妙所を認識できないためかもしれない。
結局自分に入用なものは、品物でも知識でも、自分で骨折って掘り出すよりほかに道はない。本屋にあまりたくさんいろいろな本があるので、ついついだまされて本さえ見れば学者になれるというような錯覚にとらわれるのである。
四 錯覚利用術
これも目のたよりにならぬ話である。
急に暑くなった日に電車に乗って行くうちに頭がぼうっとして、今どこを通っているかという自覚もなくぼんやり窓外をながめていると、とあるビルディングの高い壁面に、たぶん夜の照明のためと思われる大きな片かなのサインが「ジンジンホー」と読まれた。どういうわけか、その瞬間に、これは何か新しい清涼飲料の広告であろうという気がした。しかしその次の瞬間に電車は進んで、私は丸《まる》の内《うち》「時事新報」社の前を通っている私を発見したのであった。
宅《うち》に近い盛り場にあるある店の看板は、人がよく「ボンラクサ」と読んでなんのことだろうと思うそうである。丸《まる》の内《うち》の「グンデルビ上海」の類である。東海道を居眠りして来た乗客が品川《しながわ》で目をさまして「ははあ、はがなしという駅が新設になったのかなあ」と言ったのも同様である。
反対に、間違ったのを正しく読むのは校正の場合の大敵である。これを利用して似寄った名前の偽似商品を売るのもある。
たとえばゴルフの大家|梅木鶴吉《うめきつるきち》という人があるとする。そうして書店の陳列棚《ちんれつだな》に「ゴルフの要訣《ようけつ》、梅本鶴吉著」という本があったとすると、十人が九人まで「本」を「木」と読んでその本を買って来るであろう。そうしてその九人のうち四人か五人まではおしまいまで、その間違いに気づかずにしまうかもしれない。書いてある事に間違いがなければ、苦情の言いようはない。
こういう間違いの心理のもう少し複雑なものを巧みに利用したと思われるのが新聞記事の中で時々見つかる。
たとえば、ある学者が一株の椿《つばき》の花の日々に落ちる数を記録して、その数の日々の変化異同の統計的型式を調べ、それが群起地震の日々あるいは月々の頻度《ひんど》の変化異同の統計的型式と抽象的形式的に類型的であるという論文を発表したとする。そのような、ほんのちょっとした論文の内容がどうかすると新聞ではたいした「世界的」な研究になったり、ラジオでまで放送されて、当の学者は陰で冷や汗を流すのである。この新聞記事を読んだ人は相当な人でも、あたかも「椿の花の落ち方を見て地震の予知ができる」と書いてあるかのような錯覚を起こす。そうして学者側の読者は「とんでもなく吹いたものだ」と言って笑うかおこるかである。ところでその記事をよくよく読んでみるとちっとも、そんなうそは書いてないのである。ともかくもその論文の要点はそんなにひどく歪曲《わいきょく》されずに書いてある。それなのに、活字の大小の使い分けや、文章の巧妙なる陰影の魔力によって読者読後の感じは、どうにも、書いてある事実とはちがったものになるのである。実に驚くべき芸術である。こういうのがいわゆるジャーナリズムの真髄とでもいうのであろう。
ついこのあいだもある学者がアメリカの学会へ行って「黄海《こうかい》の水を日本海へ注入して電力を起こす」という設計を提出して世界の学者を驚かせたという記事が出た。数日後に電車でひょっくりその学者に会って「君はアメリカに行っているはずじゃないですか」と聞いたら、そうではなくて、ただ論文を送っただけで、それをだれかが代読したのだそうである。題目は朝鮮《ちょうせん》の河川の流域変更に関するものだそうである。なるほど、新聞記事のどこにも、当人自身がその論文をよんだとはっきり書いてはなかったかもしれない。河川の流域を変ずれば、なるほど黄海に落ちるはずの水を日本海に入れる事も可能である。しかし、新聞記事の多数の読者には、どうしても、当人が登壇して滔々《とうとう》と論じたかのごとく、また黄河の水を大きなバケツか何かで、どんどん日本海へくみ込むかと思わせるようになっているのである。そのほうがなるほどたしかにおもしろいには相違ないのである。一種の芸術としては実に感嘆すべきものであるが、犠牲になる学者の難儀もまた少々ではないのである。
この術は決して新しいものではなくて、古い古い昔から、時には偉大なる王者や聖賢により、時にはさらにより多く奸臣《かんしん》の扇動者によって利用されて来たものである。前者の場合には世道人心を善導し、後者の場合には惨禍と擾乱《じょうらん》を巻き起こした例がはなはだ多いようである。いずれもとにかく人間の錯覚を利用するものである。
もしも人間の「目」が少しも錯覚のないものであったら、ヒトラーもレーニンもただの人間であり、A一A事件もB一B事件も起こらず、三原山《みはらやま》もにぎわわず、婦人雑誌は特種を失い、学問の自由などという言葉も雲消霧散するのではないかという気がする。しかしそうなってははなはだ困る人ができてくるかもしれない。「錯覚」を食って生活している人がどのくらいあるかちょっと見当がつかないのである。また錯覚からよびさまされて喜ぶ人はほとんどまれである。尊崇している偉人や大家がたちまちにして凡人以下になったりするのではだれでも不愉快である。大概の錯覚は永久にだいじにそっとしておくほうがいいかもしれない。ただ事がらが自然科学の事実に関する限り、それを新聞社会欄の記事として錯覚的興味をそそることだけは遠慮なくやめたほうがいいであろうと思う。何人《なんびと》をも益することなくして、ただ日本の新聞というものの価値をおとすだけだからである。
五 紙獅子
銀座《ぎんざ》や新宿《しんじゅく》の夜店で、薄紙をはり合わせて作った角張ったお獅子《しし》を、卓上のセルロイド製スクリーンの前に置き、少しはなれた所から団扇《うちわ》で風を送って乱舞させる、という、そういう玩具《おもちゃ》を売っているのである。これは物理的にもなかなかおもしろいものである。ヨーヨーも物理的|玩具《がんぐ》であるが、あれはだいたいは簡単な剛体力学の原理ですべてが解釈される。しかしこの獅子のほうは複雑な渦流《かりゅう》が複雑な面に及ぼす力の問題を包んでいる。飛行機と突風との関係に似ていっそう複雑な場合であるから、世界じゅうの航空力学の大家でも手こずらせるだけの難題を提供するかもしれない。
このおもちゃは、たしかに二十年も前にやはり夜店で見たことがあるから、かなり昔からあるかもしれない。もしこれが日本人の発明だとしたらたしかに自慢のできるものである。事によるとシナから来たかもしれない。玩具《がんぐ》研究家の示教を得れば幸いである。
こんな巧妙なものでも、時代に合わず、西洋からはやってこない限りたいして商売にはならないらしい。
二十年前に見た時に感心したのは売り手のじいさんの団扇《うちわ》の使い方の巧妙なことであった。団扇の微妙な動かし方一つでおどけた四角の紙の獅子《しし》が、ありとあらゆる、「いわゆる獅子」の姿態をして見せる。つくづく見ていると、この紙片に魂がはいって、ほんとうに二匹の獅子が遊び戯れ相《あい》角逐《かくちく》しまた跳躍しているような幻覚をひき起こさせた。真に入神の技であると思って、深い印象を刻みつけられたことであった。あやつり人形の糸の代わりに空気の渦《うず》を使っているのだから驚く価値があるのである。これもやはり錯覚を利用する芸術である。
それが、昭和八年の夜店に現われたところを見ると、昔の紙の障子はセルロイドの円筒形スクリーンに変わっている。売り手のよごれた苦《にが》いじいさんは、洋服姿のモダンボーイに変わっている。しかし団扇の使い方に見られたあの入神の妙技《ヴァーチュオシティ》はもう見られない。獅子はバタバタとチャールストンを踊るだけである。なるほどこのほうがほがらかで現代的で見るのに骨が折れない。一目見れば満足して次の店に移って行かれる。忙しい世の中に適している。
大正から昭和へかけての妙技無用主義、ジャズ・レビュー時代がどれだけ続いて、その後にまた少し落ち着いてゆっくり深く深く掘り下げて洗練を経たものが喜ばれ尊重される時代が来るか、天文学者が遊星の運動を観測しているような、気長い気持ちで見ているのもまた興味のないことではない。
[#地から3字上げ](昭和八年八月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファ
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