ともかくもその論文の要点はそんなにひどく歪曲《わいきょく》されずに書いてある。それなのに、活字の大小の使い分けや、文章の巧妙なる陰影の魔力によって読者読後の感じは、どうにも、書いてある事実とはちがったものになるのである。実に驚くべき芸術である。こういうのがいわゆるジャーナリズムの真髄とでもいうのであろう。
 ついこのあいだもある学者がアメリカの学会へ行って「黄海《こうかい》の水を日本海へ注入して電力を起こす」という設計を提出して世界の学者を驚かせたという記事が出た。数日後に電車でひょっくりその学者に会って「君はアメリカに行っているはずじゃないですか」と聞いたら、そうではなくて、ただ論文を送っただけで、それをだれかが代読したのだそうである。題目は朝鮮《ちょうせん》の河川の流域変更に関するものだそうである。なるほど、新聞記事のどこにも、当人自身がその論文をよんだとはっきり書いてはなかったかもしれない。河川の流域を変ずれば、なるほど黄海に落ちるはずの水を日本海に入れる事も可能である。しかし、新聞記事の多数の読者には、どうしても、当人が登壇して滔々《とうとう》と論じたかのごとく、また黄河の水を
前へ 次へ
全21ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング