本、ゴルフの本、なんでも無いものはないように見える。ところが、何かしらある些細《ささい》な題目についてやや確実詳細な具体的知識を得たいと思って参考書を捜すとなってみると、さて、なかなか容易に自分の要求に適応する本は見つからないものである。
たとえば、ばらの葉につくチューレンジ蜂《ばち》の幼虫を駆除するに最も簡易で有効な方法を知りたいと思って、いろいろな本を物色してみたが、なるほど、多くの本にはこれに関する簡単な記載はあるが、書き方がたいていきわめて概念的で、本を読んだだけで、具体的に正確に直ちに実行に移しうるものはほとんど見つからなかった。たとえば亜砒酸鉛《あひさんえん》を使用すればいいが、劇毒であるから注意を要するとあるが、その注意のしかたは一言も書いてないから、この記事を読んだだけではちょっと物知りになるだけで実行できない。それで本のほうは断念して、園芸好きのR研究所の門衛U君に教わって理研製殺虫剤ネオトンのやや濃度の大きい溶液で目的を達せられることを知った。園芸書の著者になってみると、何々会社製の何剤がいいなどと明白に書くのは何かいけないさしつかえがあると見える。ラジオ放送と似た禁令があるかもしれないが、読者の要求に対しては不親切であると思われる。
墨の製法を書いた本はないかと思って気をつけて見たが、なかなか見つからない。化学的染料塗料色素等に関する著書はずいぶんたくさんにあるが、古来のシナ墨、それは現在でもまだかなりに実用に供されているあの墨の詳しい製法を書いたものは容易に見つからない。昔の随筆物なども物色してみたし、古書展覧会などもあさって歩いたがやっぱり自分の目的に適合するものは無い。ところが、自分の研究所のW君のにいさんが奈良《なら》県の技師をしておられるというので、これに依頼して、本場の奈良で詮議《せんぎ》してもらったら、さっそく松井元泰《まついげんたい》編「古梅園《こばいえん》墨談」という本を見つけて送ってくれたので、始めてだいたいの具体的知識に有りついた。なお後にこのほかに松井元惇《まついげんじゅん》の「梅園日記」というもののある事をも知った。ともかくこれで製造法のまねぐらいはできるようになった。自分の最初の捜し方が拙であったことはたしかであるが、それにしても、本屋に並んでいる書物が「類型的」であり「非独創的」であり、「懸崖《けんがい》作《づく》りのつるばら」のようなものであるという例証にはなるかと思う。もう少し専門学術的な書物になると、特にドイツなどには実にいろいろの特殊問題に対して、それぞれ便利な書物ができているのに驚くことがある。それにしても、題目の種類によっては、少なくも日本の本屋で捜そうとするとなかなか容易に見つからぬこともしばしばである。
以前に「鳥類の嗅覚《きゅうかく》」に関する詳しい記事のありそうな本を捜していた時に、某書店の店員が親切にカタログをあさってともかくも役に立ちそうな五六種の書名を見つけてくれて、「海外注文」を出してもらったが、一年以上たってもただ一冊手に入っただけで、残りのものは梨《なし》のつぶてである。
このごろでは「夜光虫ノクチルカ」その他の発光動物に関するものを捜しているが、まとまった手ごろな本はまだ見つからない。おかしいことには自身の捜さないのではずいぶん特殊な狭い題目の本が有り過ぎるほどあるような気がするのである。
同じことを書いた本が幾種類もあるより、まだ本になっていないことを書いた本が一つでも多く出たほうが読者には便利であるが、著者ならびに出版者にとっては、やはり類型主義のほうが便利であると見える。書物でも、やはりヨーヨーのようなものである。
話はちがうが、せんだって日比谷《ひびや》で「花壇展覧会」というものがあった。いろいろのばらがあった中に、柱作りの紅ばらのみごとなのが数株並んでいた。燃えるような緋紅色《ひこうしょく》の花と紫がかった花とがおもしろく入り交じって愉快な見ものであった。なんという名のばらか知りたいと思ったが、現場には、品種名の建て札もなく、まただれの出品かもわからなかった。数日後にまた日比谷で「ばらの展覧会」が開かれたので出かけて行って、行き当たりばったりに会の係りの人に先日の柱作りの品種を聞いてみたがわからない。そのうちに、あれはたしか横浜《よこはま》のS商会の出品だったから、あちらの同商会の出張所で聞いてみたらいいだろうと教えてくれる人があった。それでさっそくそのS商会の陳列所へ行くと、係りの店員は先日の「花壇展覧会」は見なかったから知らないという。いろいろ問答をしてそこに出陳されている切り花を点検した結果、たぶんそれはローヤル・スカーレットと称する品種であるらしいというくらいのところまではやっとこぎつけることができた。
こんな
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