がこれをたしかめようと思って実験したがどうしても見えなかった。それから十二年後になって、ある日ひょいとニコルをのぞいて見たらただの一ぺんでこれが見つかったそうである。人により、時によりこれの見え方に異同のあるのも事実らしい。
 これは眼底網膜の一部が偏光で照らされた時に生じる主観的生理的現象である。「幽霊」などと似たところもあるが、それよりはもう少し普遍的な存在である。
 これとは全く縁のないことではあるが、時代思想の「かたより光線」で照らされた多数の人の心の目にきわめてはっきり見える主観的生理的影像が、為政者や教育者の目に見えないことがあると、いろいろな重大な騒ぎが起こったりする。昔からの思想争闘弾圧史はみんなそれから来ている。ある時はまたXの方向に振動する偏光を見ている一派と、Yの方向に振動する偏光を見ている他の一派とがけんかをする。言う事が直角だけちがう。しかし、ちょっとニコルを回してみれば敵の言いぶんは了解されよう。かたよらぬ自然光で照らせば妙なブラッシの幽霊などは忽然《こつぜん》と消滅するであろう。「心境の変化」で左翼が右翼にまた右翼が左翼に「転向」するのも、畢竟《ひっきょう》は思想のニコルが直角だけ回ったようなものかもしれない。使徒ポールの改宗なども同様な例であろう。耶蘇《やそ》の幽霊に会ってニコルが回ったのである。しかしどちらへ曲げても結局偏光は偏光である。すべての人間が偏光ばかりで物を見ないで、かたよらぬ自然光でも物を見るような時代がもし来れば、あらゆるデマゴーグは腕をふるう機会を失うであろう。

     二 つるばらと団扇とリベラリスト

 鉢植《はちう》えのつるばらがはやると見えて至るところの花屋の店に出ている。それが、どれもこれも申し合わせたようにいわゆる「懸崖《けんがい》作《づく》り」に仕立てたものばかりである。同じ懸崖にしても、少しはなんとかちがった格好をしたのがあってもよさそうに思われるが、どれを見てもまるで鋳型に入れたようなもので、ばらの枝がみんな窮屈そうな顔をしてからみ合っているのである。こんなにはやらない前の懸崖作りはもう少しリベラリスティックな枝ぶりを見せていたようである。
 来客用の団扇《うちわ》を買おうと思って、あちこち物色してみて気のついたことは、われらの昔ふうの団扇の概念に適合するようなものがほとんど影をかくしたことである。丸竹の柄《え》の節の上のほうを細かく裂いて、それを両側から平面に押し広げてその上に紙をはり、その紙は日月の部分蝕《ぶぶんしょく》のような形にして、手もとに近いほうの割り竹を透かした、そういうものが、少なくもわれわれの子供時代からの団扇《うちわ》の定義のようなもので、それ以外のものは言わば変種のようなものであった。こういう昔の型には、研究してみたらおそらくいろいろな物理学的の長所があるだろうと思われる。このほうが風を生ずる点で、効率《エフィシェンシー》がいいという説もあるがこれは研究してみないとわからない。しかし撓《しな》いぐあいはたしかにこのほうが柔らかで、ぎごちなくないように思われる。これに反して木製の柄《え》で割り竹を無理にしめつけたのは、なんとなく手ごたえが片意地で、柄の付け根で首がちぎれやすい。
 そんな理屈はどうでもよいとして、こうまでも「流行」という、えたいの知れぬ人工的非科学的な因子が、送風器械としては本来科学的であるべき器具の設計に影響を及ぼすものかと驚かれるくらいである。しかし、考えてみると、団扇や扇のようなものは元来どこまでが実用品で、どこまでが玩弄品《がんろうひん》であるか、それはわからない。玩弄品としては、年々目先が変わって、それで早くこわれてしまうほうがいいに違いない。
 ただ困るのは、資本家でもなく、民衆でもなく、流行にかまわぬ趣味上のリベラリストだけであろう。しかし、机の引き出しを引っぱればあくものと思っているのが錯覚であるように、自分のほしいものが市場にあるはずだと思うのはやはりはなはだしい錯覚であるに相違ない。

     三 捜すものは無い

 捜さない時には、邪魔なほどに目の前にころがっているものが、いざ入用となって捜すときはなかなか見つからない。こういう気のする人は少なくないであろう。
 そういう特別な場合の記憶だけが残存蓄積するせいもあろう。捜してすぐにあった場合は忘れるからである。
 しかし、また、実際、特別緊急な捜しものをする場合には、心にこだわりがあって、自由な観察と認識の能力がいくぶん減退しているためもたしかにいくぶんかはあるらしい。
 これとはまた少し趣のちがった「捜すものは無い」場合がある。
 大きな書店の陳列棚《ちんれつだな》をひやかしていると、実にたくさんの本がある。俳句の本、山登りの本、唯物論的弁証法の
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング