まで北半球の上に照っていた太陽がまさに南半球へ越えんとして丁度赤道の真上に来る日である。この日我が皇室では皇霊祭を行わせられる。仏教では彼岸の中日|時正《じしよう》の日で、一切の諸仏三世の諸尊および無数万億菩薩説法して衆生《しゆじよう》に楽しみを与うというので春分の時と同様|阿弥陀詣《あみだもうで》などをする。昔エジプトの天文学者は地上に環を立てて北極星に面せしめて置き、環の影が丁度一直線になる日を見て春分秋分を定め、これを基として暦を定めたという事で、その時の環が今日でもアレキサンドリアの博物館に保存してある。この日は昼夜長短相同じでこれからだんだん夜長になる。ずっと昔十二宮を定めた頃には秋分の日地球から太陽を望むとほぼ天秤星座《てんびんせいざ》に当ったので秋分をもって太陽天秤宮に入ると云っていたが、今から二千年前ギリシアのヒッパーカスは昼夜平分の日に太陽が天球の上に見える位置すなわち秋分点は少しずつ西の方へ変って行くという事を発見した。今日では秋分の太陽は処女宮の西のはずれに近い処まで動いて来た、従ってもとは同名の星座に配してあった十二宮は同名の星座と合わなくなって来たのである。秋
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