々そんな浅いものではない。日本人が西洋の楽器を取ってならす事はならすが音楽にならぬと云うのはつまり弾手《ひきて》の情が単調で狂すると云う事がないからで、西洋の名手とまで行かぬ人でも楽《がく》の大切な面白い所へくると一切夢中になってしまうそうだ。こればかりは日本人の真似の出来ぬ事で致し方がない。ことに婦人は駄目だ、冷淡で熱情がないから。露伴《ろはん》の妹などは一時評判であったがやはり駄目だと云う事だ。空が曇ったのか日が上野の山へかくれたか疊の夕日が消えてしまいつくつくほうしの声が沈んだようになった。烏はいつの間にか飛んで行っていた。また出ますと云うたら宿は何処《どこ》かと聞いたから一両日中に谷中《やなか》の禅寺へ籠る事を話して暇《いとま》を告げて門へ出た。隣の琴の音が急になって胸をかき乱さるるような気がする。不知不識《しらずしらず》其方へと路次を這入《はい》ると道はいよいよ狭くなって井戸が道をさえぎっている。その傍で若い女が米を磨《と》いでいる。流しの板のすべりそうなのを踏んで向側へ越すと柵があってその上は鉄道線路、その向うは山の裾である。其処を右へ曲るとよう/\広い街に出たから浅草の方
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