々そんな浅いものではない。日本人が西洋の楽器を取ってならす事はならすが音楽にならぬと云うのはつまり弾手《ひきて》の情が単調で狂すると云う事がないからで、西洋の名手とまで行かぬ人でも楽《がく》の大切な面白い所へくると一切夢中になってしまうそうだ。こればかりは日本人の真似の出来ぬ事で致し方がない。ことに婦人は駄目だ、冷淡で熱情がないから。露伴《ろはん》の妹などは一時評判であったがやはり駄目だと云う事だ。空が曇ったのか日が上野の山へかくれたか疊の夕日が消えてしまいつくつくほうしの声が沈んだようになった。烏はいつの間にか飛んで行っていた。また出ますと云うたら宿は何処《どこ》かと聞いたから一両日中に谷中《やなか》の禅寺へ籠る事を話して暇《いとま》を告げて門へ出た。隣の琴の音が急になって胸をかき乱さるるような気がする。不知不識《しらずしらず》其方へと路次を這入《はい》ると道はいよいよ狭くなって井戸が道をさえぎっている。その傍で若い女が米を磨《と》いでいる。流しの板のすべりそうなのを踏んで向側へ越すと柵があってその上は鉄道線路、その向うは山の裾である。其処を右へ曲るとよう/\広い街に出たから浅草の方へと足を運んだ。琴の音はやはりついて来る。道がまた狭くなってもとの前田邸の裏へ出た。ここから元来た道を交番所の前まであるいてここから曲らずに真直ぐに行くとまた踏切を越えねばならぬ。琴の音はもうついて来ぬ。森の中でつくつくほうしがゆるやかに鳴いて、日陰だから人が蝙蝠傘《こうもりがさ》を阿弥陀にさしてゆる/\あるく。山の上には人が沢山《たくさん》停車場から凌雲閣《りょううんかく》の方を眺めている。左側の柵の中で子供が四、五人石炭車に乗ったり押したりしている。機関車がすさまじい音をして小家の向うを出て来た。浅草へ行く積りであったがせっかく根岸で味おうた清閑の情を軽業《かるわざ》の太鼓|御賽銭《おさいせん》の音に汚《けが》すが厭になったから山下まで来ると急いで鉄道馬車に飛乗って京橋まで窮屈な目にあって、向うに坐った金縁眼鏡《きんぶちめがね》隣に坐った禿頭の行商と欠伸《あくび》の掛け合いで帰って来たら大通りの時計台が六時を打った。[#地から1字上げ](明治三十二年九月)
底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:松永正
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