汽船が見えました。今日御帰りで御ざいますそうな」と御八重《おやえ》が来る。これはちと話の順序がちがっているようだ。料理人篠村宇三郎、かご入りの青海苔《あおのり》を持って来て、「これは今年始めて取れましたので差上げます。御尊父様へよろしく」と改まったる御挨拶で。そのうち汽船の碇《いかり》を下ろす音が聞えて汽笛一声。「サアそろそろ出掛けようか。」「御荷物はこれだけで。」「イヤコレハ私が持って行こう。サヨーナラ。」「また御早うに……。」定勝さんも今日の船で帰校するとて、背嚢《はいのう》へ毛布を付けている。今日は船がよほどいつもよりは西へついている。何処の学校だか行軍に来たらしい。生徒が浜辺に大勢居る。女生の海老茶袴《えびちゃばかま》が目立って見える。船にのるのだか見送りだか二十前後の蝶々髷《ちょうちょうまげ》が大勢居る。端艇へ飛びのってしゃがんで唾《つば》をすると波の上で開く。浜を見るとまぶしい。甲板へ上がってボーイに上等はあいているかと問うとあいているとの事、荷物と帽を投げ込んで浜を見ると、今端艇にのり移ったマントの一行五、六人、さきの蝶々髷の連中とサヨーナラといっているのが聞える。蚕種《
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