的な方則で規定されているのではないかという気がするのである。
七月十九日には上田の町を見物に行った。折からこの地の祇園祭《ぎおんまつり》で樽神輿《たるみこし》を舁《かつ》いだ子供や大供の群が目抜きの通りを練っていた。万燈《まんどう》を持った子供の列の次に七夕竹《たなばただけ》のようなものを押し立てた女児の群がつづいて、その後からまた肩衣《かたぎぬ》を着た大人が続くという行列もあった。東京でワッショイ/\/\というところを、ここではワイショー/\と云うのも珍しかった。この方がのんびりして野趣がある。
市役所の庭に市民が群集している。その包囲の真中から何かしら合唱の声が聞こえる。かつて聞いた事のない唱歌のような読経《どきょう》のような、ゆるやかな旋律《リズム》が聞こえているが何をしているか外からは見えない。一段高い台の上で映画撮影をやっているのが見える。そこを通り抜けて停車場の方へと裏町を歩いていると家々からラジオが聞こえ、それが今聞いた市役所の庭の合唱そのままである。上田から長野へ電線で送られた唱歌が長野局から電波で放送され、それがエーテルを伝わってもとの上田の発源地へ帰って来ている
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