もっともこんなことは、植物学者、あるいは学者とまでは行かずとも、多少植物通の人にとっては、あまりにも平凡な周知の事実であるかもしれないが、始めて知ったまるの素人《しろうと》には実に無限の驚異と、従って起こる無数の疑問を提供するものである。
こうして秋草の世界をちょっとのぞくだけでも、このわれわれの身辺の世界は、退屈するにはあまりに多くの驚異すべく歓喜すべき生命の現象を蔵しているようである。
今でも浅間の火口へ身を投げる人は絶えないそうである。そういう人たちが、もし途上の一輪の草花を採って子細にその花冠の中に隠された生命の驚異を玩味《がんみ》するだけの心の余裕があったら、おそらく彼らはその場から踵《くびす》を返して再び人の世に帰って来るのではないかという気もするのである。
二 盆踊りとあひる
二度目に沓掛《くつかけ》へ来たのが八月十三日である。ひと月前の七月十三日の夜には哲学者のA君と偶然に銀座の草市を歩いて植物標本としての蒲《がま》の穂や紅花殻《べにばながら》を買ったりしたが、信州《しんしゅう》では八月の今がひと月おくれの盂蘭盆《うらぼん》で、今夜から十七日まで毎晩
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