っているということである。それで、虻が蜜汁《みつじゅう》をあさってしまって、後ろ向きにはい出そうとするときに、虻の尻《しり》がちょうどおしべの束の内向きに曲がった先端の彎曲部《わんきょくぶ》に引っかかり、従って存分に花粉をべたべたと押しつけられる。しかし弱い弾性しか持たぬおしべは虻の努力に押しのけられて、虻の尻がその囲みを破って、少し外方に進出するとそこにちゃんとめしべの柱頭が待ち構えていたかのように控えているのである。そんな重大な役目を他人のために勤めたとは夢にも知らない虻は、ただ自分の刻下の生活の営みに汲々《きゅうきゅう》として、また次の花を求めては移って行くのである。自然界ではこのように、利己がすなわち利他であるようにうまく仕組まれた天の配剤、自然の均衡といったようなものの例が非常に多いようである。よく考えてみると人間の場合でも、各自が完全に自己を保存するように努力さえしていれば結局はすべての他のものの保存に有利であるという場合がかなり多いような気がする。人を苦しめ泣かせる行為は結局自分をいじめ殺す行為であるような気もするのである。
この数日間の植物界見物は実におもしろかった。
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