「浮べて、何かしら東西両洋をつなぐ縁の糸のようなものを想像したのであったが、後にまたウィーンの歳の暮に寺の広場で門松《かどまつ》によく似た樅《もみ》の枝を売る歳の市の光景を見て、同じような空想を逞《たくま》しゅうしたこともあった。こんな習俗ももとは何かしら人間の本能的生活に密接な関係のある年中行事から起ったものであろうと思うが、形式だけが生残って内容の原始的人間生活の匂いは永久に消えてしまい忘れられてしまったのであろう。
「早苗《さなえ》とる頃」で想い出すのは子供の頃に見た郷里の氏神の神田の田植の光景である。このときの晴れの早乙女《さおとめ》には村中の娘達が揃いの紺の着物に赤帯、赤|襷《だすき》で出る。それを見物に行く町の若い衆達のうちには不思議な嗜被虐性変態趣味をもった仲間が交じっていたようである。というのは、昔からの国の習俗で、この日の神聖な早乙女に近よってからかったりする者は彼女達の包囲を受けて頭から着物から泥を塗られ浴びせられても決して苦情はいわれないことになっていたのである。
そういう恐ろしい刑罰の危険を冒して彼女らを「テガイニイク」(からかいに行く)という冒険には相当な誘
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