ヘしないかと思うので、そういう鎮静剤を一部の読者に紹介したいと思ったまでのことである。
兼好法師の時代にはもちろん生理学などというものはなかったが、あの『徒然草』第十九段を見ると「青葉になりゆくまで、よろづにたゞ心をのみなやます」とか、また「若葉の梢涼しげに茂りゆく程こそ、世のあはれも、人の恋しさもまされと、人のおほせられしこそ、げにさるものなれ」などといっているところを見ると、この法師もその当時は H0[#「0」は下付き小文字] − A = K の仲間ではなかったかと想像されて可笑しい。それに引きかえて『枕草子』に現われて来る清少納言の方はひどく健康がよくてAが小さくH0[#「0」は下付き小文字][#「H0[#「0」は下付き小文字]」は縦中横]がいつもKに近いという型の婦人であったように見えるのである。
『徒然草』の「あやめふく頃」で思い出すのはベルリンに住んではじめての聖霊降臨祭《プフィングステン》の日に近所の家々の入口の軒に白樺の折枝を挿すのを見て、不思議なことだと思って二、三の人に聞いてみたが、どうした由来によるものか分らなかった。ただ何となく軒端に菖蒲を葺いた郷国の古俗を想
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