のいちばん気持のいいときになる勘定である。
 もしも H0[#「0」は下付き小文字] − A がKより大きいような人ならばその人は年中怒りっぽくまた憂鬱になりやすいし、また H0[#「0」は下付き小文字] + A がKより小さい人は年中元気がなく悄気《しょげ》ていることになる。この仮説を応用して自分の場合に当てはめてみると若い時分にはH0[#「0」は下付き小文字][#「H0[#「0」は下付き小文字]」は縦中横]もAも相当大きくてしかも H0[#「0」は下付き小文字] − A がほぼKに等しかった、しかし年を取ってある時期以後H0[#「0」は下付き小文字][#「H0[#「0」は下付き小文字]」は縦中横]が著しく減って H0[#「0」は下付き小文字] + A = K に近くなったという風に解釈すると一応の説明がつきそうである。もっともH0[#「0」は下付き小文字][#「H0[#「0」は下付き小文字]」は縦中横]がだんだんに減って来たとすると、中年ごろに一度 H0[#「0」は下付き小文字] = K' 換言すれば夏と冬とがちょうど快適だという時期があったとしなければ勘定が合わぬことになるが、しかし実際は上のような簡単な式ですべてが現わされるはずはないので、例えば過剰や過少が寒暖の急な変り目だけに起り、そういう時期だけにそれが有効に心情を支配するのだとすれば、それでも一応はこの困難が避けられるであろうと思われる。
 この素人学説はたぶん全然間違っているか、あるいはことによると、もう既にこれといくらか似た形でよく知られていることかもしれない。しかし自分がここでこんなことを書きならべたのは別にそうした学説を唱えるためでも何でもないので、ただここでいったような季節的気候的環境の変化に伴う生理的変化の効果が人間の精神的作用にかなり重大な影響を及ぼすことがあると思われるのに、そういう可能性を自覚しないばかりに、客観的には同じ環境が主観的にある時は限りなく悲観されたり、またある時は他愛もなく楽観されたりするのを、うっかり思い違えて、本当に世界が暗くなったり明るくなったりするかのように思い詰めてしまって、つい三原山へ行きたくなりまた反対に有頂天《うちょうてん》になったりする、そういう場合に、前述のごとき馬鹿げた数式でもひねくってみることが少なくも一つの有効な鎮静剤の役目をつとめることになり
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