ような気がしたものである。その代り秋風が立ち始めて黍《きび》の葉がかさかさ音を立てるころになると世の中が急に頼もしく明るくなる。従って一概に秋を悲しいものときめてしまった昔の歌人などの気持が自分にはさっぱり呑みこめなかったのであった。それが年を取るうちにいつの間にか自分の季節的情感がまるで反対になって、このごろでは初夏の若葉時が年中でいちばん気持のいい、勉強にも遊楽にも快適な季節になって来たようである。
 この著しい「転向」の原因は主に生理的なものらしい。試みに自分のあやしげな素人生理学の知識を基礎にして臆説を立ててみるとおおよそ次のようなことではないかと思う。
 われわれが格別の具体的事由なしに憂鬱になったり快活になったりする心情《ムード》の変化はある特殊の内分泌ホルモンの分泌量に支配されるものではないかと思われる。それが過剰になると憂鬱になったり感傷的になったり怒りっぽくなったりするし、また、過少になると意気|銷沈《しょうちん》した不感《アパシー》の状態になるのでないかと思われる。そこで分泌が過剰でもなく過少でもない中間のある適当な段階のある範囲内にあるときが生理的に最も健全な状態で、そういう時に最も快適な平衡のとれた心情の動きを享有することが出来るのだと仮定する。
 一方でまたこの分泌には一年を週期とする季節的変化があって、その最高《マキシマム》が晩春、最低《ミニマム》が初秋のころにあると仮定する。それからまたその週期的な波の「平均水準」が人々によって色々違うのみならず、同一個人でも健康状態によりまた年齢により色々ちがうものとする。さらにまたその平均水準の上下に昇降する週期的変化の「振幅《アンプリチュード》」がやはり人によって色々の差があり、ある人は春秋の差がそれほど大きくないのに、ある人はそれが割合に大きいという風な変異《ヴェリエーション》があるものとする。
 数式で書き現わすと、この問題の分泌量Hがざっと H = H0[#「0」は下付き小文字] + A sin nt のような形で書き現わされその平均水準のH0[#「0」は下付き小文字][#「H0[#「0」は下付き小文字]」は縦中横]と振幅Aとが各個人の各年齢で色々になる量だとする。そこで今いちばん適当なHの量を仮にKだとすると、上式をKに等しいと置いたときにその式を満足するような時間tに相当する時季がその人
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