シアで剃るのは xurein でわが suri に通じる。髪を切る意味の cheirein は「切る」「刈る」に通じる。
 Skt. kshura は剃刀《かみそり》。krit は切るであるとすると不思議はない。
 おもしろいことは、土佐で自分の子供の時代に、紙鳶《たこ》の競揚をやる際に、敵の紙鳶糸を切る目的で、自分の糸の途中に木の枝へ剃刀の刃をつけたものを取り付ける。この刃物を「シューライ」と名づける。これは前記のサンスクリトの「クシューラ」とよく似ている。これはたしかに不思議である。
 床屋も不思議だがハタゴヤもなぜ旅館だかわからない。
 ギリシアの宿屋が pandocheion でいくらか似ているのはおもしろい。パドケヤとハタゴヤである。pan と dechomai, すなわちだれでも接待する意だそうである。衆生を済度する仏がホトケであるのは偶然の洒落《しゃれ》である。

 ラテンで「あるいはAあるいはB」という場合に alius A, alius B とか、alias A, alias B とか、また vel A, vel B という。alius と vel とは別物であるのに
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