年頃のベルリンよりは少ないであろう。しかし大戦後のベルリンでこのシガーの供待所がどういう運命に見舞われたかはまだ誰からも聞く機会がない。
ベルリンでも電車の内は禁煙であったが車掌台は喫煙者《ラウハー》のために解放されていた。山高帽を少し阿弥陀《あみだ》に冠《かぶ》った中年の肥大《ふと》った男などが大きな葉巻をくわえて車掌台に凭《もた》れている姿は、その頃のベルリン風俗画の一景であった。どこかのんびりしたものであったが、日本の電車ではこれが許されない。いつか須田町《すだちょう》で乗換えたときに気まぐれに葉巻を買って吸付けたばかりに電車を棄権して日本橋まで歩いてしまった。夏目先生にその話をしたら早速その当時書いていた小説の中の点景材料に使われた。須永というあまり香《かん》ばしからぬ役割の作中人物の所業としてそれが後世に伝わることになってしまった。そのせいではないが往来で葉巻を買って吸付けることはその時限りでやめてしまった。
ドイツからパリへ行ったら葡萄酒が安い代りに煙草が高いので驚いた。聞いてみると政府の専売だからということであった。パリからロンドンへ渡ってそこで日本からの送金を受取る
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