象が残っている。そうして河畔に茂った「せんだん」の花がほろほろこぼれているような夏の日盛りの場面がその背景となっているのである。
 父はいろいろの骨董道楽をしただけに煙草道具にもなかなか凝《こ》ったものを揃えていた。その中に鉄煙管の吸口に純金の口金の付いたのがあって、その金の部分だけが螺旋《ねじ》で取り外ずしの出来るようになっていた。羅宇屋に盗まれる恐れがあるので外ずして渡す趣向になっていたものらしい。子供心に何だかそれが少しぎごちなく思われた。そのせいでもないが自分は今日まで煙管に限らず時計でもボタンでも金や白金の品物をもつ気がしなかった。
 巻煙草を吸い出したのもやはり中学時代のずっと後の方であったらしい。宅《うち》には東京|平河町《ひらかわちょう》の土田という家で製した紙巻がいつも沢山に仕入れてあった。平河町は自分の生れた町だからそれが記憶に残っているのである。ピンヘッドとかサンライズとか、その後にはまたサンライトというような香料入りの両切紙巻が流行し出して今のバットやチェリーの先駆者となった。そのうちのどれだっかた東京の名妓の写真が一枚ずつ紙函《かみばこ》に入れてあって、ぽん太
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