とかおつまとかいう名前が田舎の中学生の間にも広く宣伝された。煙草の味もやはり甘ったるい、しつっこい、安香水のような香のするものであったような気がする。
今の朝日敷島の先祖と思われる天狗煙草の栄えたのは日清《にっしん》戦争以後ではなかったかと思う。赤天狗青天狗銀天狗金天狗という順序で煙草の品位が上がって行ったが、その包装紙の意匠も名に相応《ふさわ》しい俗悪なものであった。轡《くつわ》の紋章に天狗の絵もあったように思う。その俗衆趣味は、ややもすればウェルテリズムの阿片《あへん》に酔う危険のあったその頃のわれわれ青年の眼を現実の俗世間に向けさせる効果があったかもしれない。十八歳の夏休みに東京へ遊びに来て尾張町《おわりちょう》のI家に厄介になっていた頃、銀座通りを馬車で通る赤服の岩谷天狗松平《いわやてんぐまつへい》氏を見掛けた記憶がある。銀座二丁目辺の東側に店があって、赤塗壁の軒の上に大きな天狗の面がその傍若無人の鼻を往来の上に突出していたように思う。松平氏は第二夫人以下第何十夫人までを包括する日本一の大家族の主人だというゴシップも聞いたが事実は知らない。とにかく今日のいわゆるファイティング
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