も廊下もがらんとして寒かった。初め這入《はい》ったとは別の改札口へ出て、そこでN君が何かしら交渉を始めていた。外から改札口を色々な人が這入って来る。若いオールバックの男が這入ろうとすると、役人が二、三人寄って行って、その男の洋服のかくしを一つ一つ外から撫《な》で廻していた。それを見ているうちに、妙な気持になって来た。
 理由の分らなかった朝からの不満が、いつの間にかだんだんに具体的な形を具えて現われて来る事が自覚された。それが丁度レンズの焦点を合せるように、だんだんにはっきりして来るのであった。
 そういう心持を懐《いだ》いて、もう一度がらんとした寒い廊下と階段を上がって、そうしてようやく目的の関門を通過して傍聴席の入口を這入った。
 這入った処は薄暗い桟敷《さじき》のような処で、それに一杯に人が居るようであった。桟敷の前には、明るくて広い空間が大きな口を開いていた。始めてこの桟敷から見下ろした瞬間の心持は、ちょっとした劇場の安席から下を見下ろした時のような心持であった。
 場内の通風はあまり良好でないのか、傍聴席の空気は甚だ不純なようであった。
 傍聴者は、みんな非常に真面目に黙って
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