一心に下を覗き込んでいた。そういう人達の顔を見ると、下にはかなり真面目な重大な事柄が進行しているという事が分るような気がした。
入口を這入る時から、下の方で何だか恐ろしく大きな声で咆哮《ほうこう》している人がある事に気が付いていたが、席が定まってからよく見ると、それは正面の高い壇の中壇のような処に立って何事か演説している人の声であった。どういう事が問題になっているのか、肝心の事は分らなかったが、何でも議長が何かをどうかして、それからどうとかすべきはずなのを、そうしなかったのが不都合だと云って攻撃しているようであった。この人の出し得る極度の大きな声を出しているという事は、その顔色が紫がかる程に赤く光沢を帯びて、眼球が飛び出しそうな程に眼を見開いている事からもおおよそ察せられた。
壇に向かって後ろ上がりに何列となく並んだ椅子の列には、色々の服装をした、色々の年輩の議員達の色々の頭顱《とうろ》が並んでいた。私は意外に空席がかなりに多い事を不思議に思った。
壇上の人が何かいう度《たび》に、向かって右の方と左の方の椅子の列から拍手をしたり、何か分らぬ事を云ってはやし立てる人がいた。中央の列の人はみんな申し合せたように黙りこんでいた。左右の席の人々が何となく緊張しているに反して中央の席の人々は、まるで別の国の人のように気楽そうに見えた。その中のある人は、演説のある最中に呑気相《のんきそう》に席を立ってどこかへ出て行ったりした。その時に始めて気が付いたが、椅子が扉のように後方へ開いて、そこから人が出入りする仕掛けになっている。
壇上の人が下りると、上壇に椅子へ腰かけた人、これが議長だそうであるが、この人が何か一言二言述べると、左の方の議員席からいきなり一人立上がって大きな声でわめき立てた。片手を高く打ち振りながら早口に短い言葉を連発していた。今にも席から飛び出すかと思われたが、そうもしなかった。右の方の席からも騒がしい声が聞こえた。
議長が、それでは唯今の何とかを取消します、というたようであった。すると、また隅々からわあっという歓声とも怒号とも分らぬ声が聞こえた。
和服を着た肥った老人が登壇した。何か書類のようなものを鷲握《わしづか》みにして読みはじめたと思ったらすぐ終った。右報告、と捨てぜりふのように、さも苦々しく言い切って壇を下りると、またがやがやと騒ぐ声が一しき
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