動車が玄関のような処へついて、そこからN君の後へついて上がって行こうとすると、玄関にいる人達が、そこからはいけないからあちらへ廻れという。それで停車場の改札口のような処を通り抜けて、恐ろしく長い廊下のような処に出た。それからその廊下の横の一室へ案内されて、そこで外套《がいとう》と帽子を置いた。室には、人はたった一人居たきりであるが、壁には数え切れないほど沢山の外套と帽子が掛け列ねてあった。その帽子外套の列が、どういうものか自分にはよほど遠い世界の帽子外套の列であるような気がして、軽い圧迫を感じさせられた。
 廊下から階段へ上がろうとすると、そこに立っていた制服着用の役人が、私の胸の辺を指さして、何か云うようである。何かしら自分が非難されている事は分った。しかしN君が一言二言問答したら、それでよかったと見えてそのまま階段を上がって行った。そしてある室の入口に控えていた同じような制服の役人に傍聴券を差し出して、それでもういいのかと思っていると、まだ必要な手続が完了していなかったと見えてそこへはいる事を許されない。それで再びまた同じ階段を下りて、方角のわからぬ廊下をぐるぐる廻って行った。階段も廊下もがらんとして寒かった。初め這入《はい》ったとは別の改札口へ出て、そこでN君が何かしら交渉を始めていた。外から改札口を色々な人が這入って来る。若いオールバックの男が這入ろうとすると、役人が二、三人寄って行って、その男の洋服のかくしを一つ一つ外から撫《な》で廻していた。それを見ているうちに、妙な気持になって来た。
 理由の分らなかった朝からの不満が、いつの間にかだんだんに具体的な形を具えて現われて来る事が自覚された。それが丁度レンズの焦点を合せるように、だんだんにはっきりして来るのであった。
 そういう心持を懐《いだ》いて、もう一度がらんとした寒い廊下と階段を上がって、そうしてようやく目的の関門を通過して傍聴席の入口を這入った。
 這入った処は薄暗い桟敷《さじき》のような処で、それに一杯に人が居るようであった。桟敷の前には、明るくて広い空間が大きな口を開いていた。始めてこの桟敷から見下ろした瞬間の心持は、ちょっとした劇場の安席から下を見下ろした時のような心持であった。
 場内の通風はあまり良好でないのか、傍聴席の空気は甚だ不純なようであった。
 傍聴者は、みんな非常に真面目に黙って
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