りした。
 それから、入れ代って色々の演説があった。そのうちのある人は若々しい色艶と漆黒《しっこく》の毛髪の持主で、女のようなやさしい声で永々と陳述した。その後で立った人は、短い顔と多角的な顎骨とに精悍《せいかん》の気を溢らせて、身振り交じりに前の人の説を駁《ばく》しているようであった。
 たださえ耳の悪いのが、桟敷の不良な空気を吸って逆上して来たために、猶更《なおさら》聞こえが悪くなったのか、それとも云っている事が、よほど自分の頭に這入りにくい事柄であるせいか、かなり骨を折ったにもかかわらず、これらの演説がどれもよく聞き取れなかった。ましてや議員席から時々突発する短い捨て言葉などは一つも聞き取れなかった。
 そのうちに、始めに出た極度の大声を出す人が壇上に立ってまた何事か述べはじめた。
 朝からだんだんに醗酵していた私の不満は、この苦しげな大声を再び聞く事によって、とうとう頂点まで進んだものと見える。私は到底堪え切れなくなって席を立った。N君がこれからもう一つの議場へ行こうというのを振り切って出口へ出た。N君が帽子と外套を取って来てくれる間を出口でうろうろして、寒い空気に逆上した頭を冷やしていた。
 このようにして、私の議会訪問は意外の失敗に終ってしまった。これはしかし、決して私を案内したN君の悪い訳でもなく、いわんや議会そのものの罪でもなくて、全くその日の天気のせいと而して通風のよくない傍聴席の不良な空気のせいである事は明らかである。
 そういう特殊な条件の下に置かれた、特殊な人間の頭に映じた議会の第一印象が、かくのごとく特殊なものであり得るという事実だけは、ともかくも一つの記録としてここに誌《しる》しておくのも強《あなが》ち無益の業ではあるまいと思う。[#地から1字上げ](大正十三年)



底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
   1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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