た変わりはないであろう。もっとも文献の破片は一度すっかり細かにすりつぶされなければならないのであるが、すりつぶされても結局素材としてはもとのものの変形である。
 この素材の団塊からすぐれた学者が彼の体系をひねり上げる際にはやはり名工が陶器を作ると同様なものがあるような気がする。死んだ無機的団塊が統整的建設的|叡知《えいち》の生命を吹き込まれて見る間に有機的な機構系統として発育して行くのは実におもしろい見物《みもの》である。
 こういう場合に傍観者から見て最も滑稽《こっけい》に思われることは、この有機的体系の素材として使用された素材自身、もしくはその供給者が、その素材を使って立派なものを作り上げ、そうして名工としての栄誉を博した陶工に対して不平|怨恨《えんこん》の眼を向けるという事実である。つまり言わば某陶工が帝展において金牌《きんぱい》を獲たときにその作品に使われた陶土の採掘者が「あれはおれが骨折って掘ってやった土をそっくりそのまま使って、そうした金牌をせしめておきながら涼しい顔をしている」と言って憤慨するのと似たことが実際にしばしば起こるのである。あるいはまた、陶土採掘者が平気でいて
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