合に陶工の手の役目をつとめるものが何であるかはいかなる生物学者にもまだよくはわからないようである。それはとにかく、この胚子の壺の形がだんだんにどこまでも複雑な形に分岐し分岐して、それがおしまいにはクレオパトラになったり、うちの三毛ねこになったりするのである。クレオパトラでも三毛ねこでも畢竟《ひっきょう》は天然の陶工の旋盤なしにひねり出した壺《つぼ》である。この壺の中味が問題になるのであろう。
 粘土がなくては陶器はできないが粘土があっただけではやはり陶器はできない。これはあたりまえである。しかしこのあたりまえな事が時々忘却されるためにいろいろな問題が起こることがある。
 ある哲学者が多年の間にたくさんの文献を渉猟して収集し蓄積した素材の団塊から自身の独創的体系を構成する場合があるであろう。科学者でも同様な場合があるであろう。そういう場合に寄り集まった材料が互いに別々な畑から寄せ集められたものである以上各部分の間にはなんらの必然的な連絡はなく、従ってそれらの堆積《たいせき》はやはり単なる素材の堆積であり団塊であるというだけで、結局はその学者なる陶工の旋盤の上に載せられた粘土の団塊とたいし
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