弟子が先生を恨みゴシップがたきつけるという事件の起こることが意外に多いように見受けられる。これは科学的のアルバイトというものの本性に関する認識不足から起こる現象である。そうした不平をいう弟子にはまた当然独創力に乏しい弱い頭の持ち主が多いわけである。もし独創力のある弟子なら、そんな些細《ささい》なものを先生にくれてやっても、自分の仕事は目の前にいくらでもころがっているからである。
陶工が陶土およびその採掘者に対して感謝の辞を述べる場合は少ない。これは不都合なようにも思われるが、よく考えてみると、名陶工にはだれでもはなれないが、土を掘ることはたいていだれにでもできるからであろう。
独創力のない学生が、独創力のある先生の膝下《しっか》で仕事をしているときは仕事がおもしろいように平滑に進行する。その時弟子に自己認識の能力が欠乏していると、あたかも自分がひとりで大手を振って歩いているような気持ちがするであろう。しかし必ずしもそうでないということは、ひとたびその先生のもとを離れて一人立ちで歩いてみればすぐになるほどと納得されるのである。しかし性《たち》のいい弟子《でし》は、先生の手足になってき
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