ないで、近ごろの若い者はを口癖にいうのは、畢竟《ひっきょう》もう先が短くなった証拠かもしれない。もしも、これで百歳まで生きる覚悟があったら、自分はやっぱり奮発していやな品に慣れる努力をするであろう。時代のアルプスを登るにはやはり骨が折れる。自分もせいぜい長生きする覚悟で若い者に負けないように銀座《ぎんざ》アルプスの渓谷《けいこく》をよじ上ることにしたほうがよいかもしれない。そうして七十歳にでもなったらアルプスの奥の武陵《ぶりょう》の山奥に何々会館、サロン何とかいったような陽気な仙境《せんきょう》に桃源《とうげん》の春を探って不老の霊泉をくむことにしよう。
 八歳の時に始まった自分の「銀座の幻影」のフィルムははたしていつまで続くかこればかりはだれにもわからない。人は老ゆるが自然はよみがえる。一度影を隠した銀座の柳は、去年の夏ごろからまた街頭にたおやかな緑の糸をたれたが、昔の夢の鉄道馬車の代わりにことしは地下鉄道が開通して、銀座はますます立体的に生長することであろう。百歳まで生きなくとも銀座アルプスの頂上に飛行機の着発所のできるのは、そう遠いことでもないかもしれない。しかしもし自然の歴史が
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