であった。
 コーヒーに限らず、デパートの商品でも、あのようにたくさんにあるものの中で自分の趣好に適合するものの少ないのに困ることがしばしばある。コーヒー茶わんとか灰皿《はいざら》とかのこわれた代わりを買いに行っても、近ごろのものには、大概たまらなくいやだと思うような全く無益な装飾がしてあってどうにも買う気になれないのである。ネクタイがあまり古ぼけたので一つ奮発しようと思って物色しても、あのたくさんな商品の中にこれをと思って手の出るのはまれである。これは自分の趣味|嗜好《しこう》が時代に遅れたという事実を証明する以外になんらの意味もない些事《さじ》ではあろうが、この一些事はやはりちょっと自分にものを考えさせる。こういう時にわれわれがもしも、自分のいちばんいやなようないちばん新しい傾向の品を買って来て我慢して使ってみていると、おしまいには案外それが好きになるかもしれない。殺風景だと思っていたコンクリートの倉庫も見慣れると賤《しず》が伏屋《ふせや》とはまたちがった詩趣や俳味も見いだされる。昭和模様のコーヒー茶わんでも慣れればおもしろくなるかもしれない。それがおもしろくなるまでの我慢がしきれ
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