しい姿だけが明瞭《めいりょう》に印象に残っている。それは、たしか先代の左団次《さだんじ》であったらしい。そうして相手の弁慶はおそらく団十郎《だんじゅうろう》ではなかったかと思われるが、不思議と弁慶の印象のほうはきれいに消えてなくなってしまっている。しかし時の敗者たる知盛の幽霊に対して、子供心にもひどく同情というかなんというかわからない感情をいだいたものと見えて、そういう心持ちが今でもちゃんと残留しているのである。
芝居茶屋というものの光景の記憶がかすかに残っている、それを考えると徳川時代の一角をのぞいて来たような幻覚が起こる。
芝居がはねて後に一同で銀座までぶらぶら歩いたものらしい。そうして当時の玉屋《たまや》の店へはいって父が時計か何かをひやかしたと思われる。とにかくその時の玉屋の店の光景だけは実にはっきりした映像としていつでも眼前に呼び出すことができる。
夜ふけて人通りのまばらになった表の通りには木枯らしが吹いていた。黒光りのする店先の上がり框《がまち》に腰を掛けた五十歳の父は、猟虎《らっこ》の毛皮の襟《えり》のついたマントを着ていたようである。その頭の上には魚尾形《ぎょびけ
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