四年目に再び上京した。谷中《やなか》の某寺に下宿をきめるまでの数日を、やはり以前の尾張町《おわりちょう》のI家でやっかいになった。谷中へ移ってからも土曜ごとにはほとんど欠かさず銀座《ぎんざ》へ泊まりに行った。当時、昔の鉄道馬車はもう電車になっていたような気がするが、「れんが」地域の雰囲気《ふんいき》は四年前とあまり変わりはなかったようである。ただ中学生の自分が角帽をかぶり、少年のSちゃんが青年のS君になっていつのまにか酒をのむことを覚えていたくらいであった。熊本《くまもと》で漱石先生に手引きしてもらって以来俳句に凝って、上京後はおりおり根岸《ねぎし》の子規庵《しきあん》をたずねたりしていたころであったから、自然にI商店の帳場に新俳句の創作熱を鼓吹したのかもしれない。当時いちばん若かったKちゃんが後年ひとかどの俳人になって、それが現に銀座|裏河岸《うらがし》に異彩ある俳諧《はいかい》おでん屋を開いているのである。
鍋町《なべちょう》の風月《ふうげつ》の二階に、すでにそのころから喫茶室《きっさしつ》があって、片すみには古色|蒼然《そうぜん》たるボコボコのピアノが一台すえてあった。「ミルク
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