どこでも見なかった種類のものである。この濠はあまり人の行かないところであった。それが自分の夢のような記憶の中ではニンフの棲処《すみか》とでも云ったような不思議な神秘的な雰囲気につつまれて保存されているのである。帰省してこの濠のあったはずの場所を歩いてみても一向に想い出せないような昔の幻影が、かえって遠く離れた現在のここでの追憶の中にありありと浮んで来るのである。
これらの樹の実の記憶には数限りもない少年時代の生活の思い出がつながっている。そうしてこれらの自然界とつながっているものほどその思い出の現実性が深いように思われるのである。
交通の発達につれて都会と田舎の距離は次第に短縮する。今ではたいていの田園の産物もデパートの陳列棚で見られるのであるが、それでもまだ楊梅や寒竹の筍は見られない。菱や色々の樹の実は土佐に限らぬものであろうが、しかしこれらの都会の食味の中に数えられないためか、どこでも手に入れることが出来ない。そういうものが食物になり得るという事さえ都会の子供等は夢にも知らないのである。考えてみると可哀相なような気がする。
滞欧中のある冬にイタリアへ遊びに行った。ローマの大学
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