の楊梅の苗を取寄せることを依頼された。郷里の父に頼んで良種を選定し、数本の苗を東京へ送ってもらった。これがさらに佐野博士の手で伊東に送られ移植された。そしてこの苗の生長を楽しみにしておられた博士は不幸にして夭折《ようせつ》されたのである。亡くなられる少し前に、たしかこれらの楊梅が始めて四つとか五つとかの実を着けたという消息を聞いたことがあったように思う。その後さらに数年を経過した現在のこの楊梅の苗の運命がどうなっているか。伊東へ行く機会があったら必ず訪ねてみようと思うものの一つにはこの楊梅のコロニーがあるのである。
 色々の木の実を食ったことを想い出す。昔の高坂橋《たかさかばし》の南詰に大きな榎樹《えのき》があった。橙紅色の丸薬のような実の落ち散ったのを拾って噛み砕くと堅い核の中に白い仁《にん》があってそれが特殊な甘味をもっているのであった。この榎樹から東の方に並んで数本の大きな椋《むく》の樹があった。椋の実はちょっと干葡萄のような色と味をもっている。これが馬糞などと一緒に散らばっているのを平気で拾って喰うのであった。われわれ当時の自然児にはそれが汚いともなんとも思われなかった。これら
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