明白である。時間と労力と金とを費やすだけでは十分でない。撮影者が単に映画のテクニークに通暁しているばかりでなく、その対象に関する十分な知識をもっていることが絶対に必要である。それかといって単なる学者では勿論駄目である。「映像の言葉」の駆使に熟達した映画監督の資格を同時に具えていなければならない。そういう人はなかなかそう容易《たやす》く見附かるものではない。現在ドイツのウーファがこの点でほとんど独り舞台を見せているが、近頃のロシアの「婦人の衛生」などもこの点で著しい傑作であった。ところで我邦の教育映画はどんな有様であるか。自分はまだ不幸にしてその実例を多く見ていないから何とも批評する資格はないが、わずかに見ることを得た二、三のものは、甚だ愚劣なものであった。例えば火山の噴火を示すのでも本当に子供だましの模型や如何《いかが》わしい地殻断面図の行列であって、一つも現象の科学的な要点に触れていなかった。また例えば子供の誤って呑込んだおはじきが消化器系を通過する径路を示すのを見たが、これなどでも消化器というものの本質には少しも触れないで、ただ土管のつながりのようなものとしか思われないように出来て
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