いた。勿論これらはほんの素人の慰み半分の小型映画作品であったのでこういう厳重な批評をするのは無理であろうが、これでもおおよその水準を窺《うかが》うことは出来るであろうと思われる。
元来教育映画は骨の折れる割合に商品価値の低いものである以上、現在日本の映画会社では到底手をつけないであろうから、どうしても政府の事業としてやる外はないと思われる。しかし現在我邦の政府で映画教育の価値がほんのわずかしか認められていないとしたら、何時になったら立派な教育映画が出来るようになるか全く見込が立たない有様である。もし誰か金持の中の変り者でもあって、月並の下らないいわゆる社会事業などに出す金をこの方面に注いで、そうして適当な監督を見出し養成すればあるいは出来るかもしれないのである。しかしそれよりも先に一般民衆が教育映画というものの価値を十分に認めること、またその将来の可能性が如何に大きいものであるかをリアライズすることが必要であるかもしれない。
実際もし映画|殊《こと》に発声映画の技術が発達を重ねて行ってその器械がもう少し安くなって一般の使用に便利なようになれば、多くの学校の無味乾燥な教授の大部分は映
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