ある。ましてやアフリカ大陸の自然の棲所《すみか》で撮った河馬の映画となれば猶更《なおさら》のことである。
ある製造工場を見学するにしても、実際の場合は一見雑然とした機械の嵐のように運転する中を案内されて説明を聞いても眼が戸まどいをして視るべき要点を掴《つか》まえることが困難であるが、適当に編輯された映画で見れば、例えば飛行機なら飛行機の製造される過程が実に明瞭によく分るのである。
こういう訳で、映画の眼を通してものを見るということは、実物を見るとはよほどちがった長所をもっている。映画を見ることによって吾々は凡庸な観察眼の代りに異常に鋭い観察者の眼を獲得することになる。同時に非常に長い時間と多大な費用を節約し得られるのである。ある映画監督は猫が鼠を捕る光景を撮るために七十時間とそれに相当するフィルムを費やしたそうである。
極めて平凡なものの観察でさえも映画によって始めて可能な利益があるとすれば、映画技術によってのみ得られる観察、例えば高速度撮影や反対の低速度撮影のごときものの効能は今更《いまさら》云うまでもないことである。
しかしこういう教育映画を作るのはなかなか容易でないことも
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