ていた。天性からも、また隠遁的《いんとんてき》な学者としての生活からも、元来イーゴイストである彼の小自我は、その上におおっている青白い病のヴェールを通して世界を見ていた。
 もっとも彼がこう思ったのはもう一つの理由があった。大学の二年から三年に移った夏休みに、呼吸器の病気を発見したために、まる一年休学して郷里の海岸に遊んでいたころ、その病気によくきくと言ってある親戚《しんせき》から笹百合《ささゆり》というものの球根を送ってくれた事があった。それを炮烙《ほうろく》で炒《い》ってお八つの代わりに食ったりした。それは百合《ゆり》のような鱗片《りんぺん》から成った球根ではあったが、大きさや格好は今度のと似たものであった。彼はその時分の事をいろいろ思い出していた。焦げた百合の香ばしいにおいや味も思い出したが、それよりもそれを炒ってくれた宿の人々の顔やまたそれに付きまとうた淡いロマンスなどもかなりにはっきりと思い出された。その時分の彼はたとえ少々の病気ぐらいにかかっても、前途の明るい希望を胸いっぱいにいだいていただけに悲観もしなければ別にあせりもしなかった。そして一年間の田舎《いなか》の生活をむし
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