K市の姉からだとすると、一つ思い当たる事があった。彼女が去年まで家を貸してあった中学教師のスイス人が毎年いろんな草花を作っていた。半分は楽しみであったろうが半分は内職にしているらしいという事であった。なんでも草花の種や球根を採ってはY港のある商館へ売り込みに行くらしかった。その西洋人が去年シャンハイへ転じて行く時に、姉の貸し家の畑へ置きみやげにいろいろなものを残して行っただろうという事は、きわめてありそうな事である。それがことしたくさん蕃殖《はんしょく》したのでこちらへも分けてよこしたものだろう。
そう考えると堅吉の頭の中が急に明るくなるような気がした。同時にこの球根がなんだという事もはっきりわかったような気がした。「そうだ、フリージアだ。フリージアに相違ない。」
彼の意識の水平線のすぐ下に浮いたり沈んだりしていたこの花の名が急にはっきり浮き上がって来た。それと同時に彼は始めに小包をひらいてこの球根を見た瞬間から、すでにもう「フリージア」という名がすぐ手近な所に隠れていたように思われだした。意識の深い奥のほうからこれが出よう出ようとするのを、不思議な、ほとんど無自覚な意志の力で無理
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