な要素としての母音や子音の差別目標となるものは、主として振動数の著しく大きい倍音、あるいは基音とはほとんど無関係ないわゆる形成音《フォルマント》のようなものである。それで考え方によっては、それらの音をそれぞれの音として成立せしめる主体となるものは基音でなくてむしろ高次倍音また形成音だとも言われはしないかと思う。
こういう考えが妥当であるかないかを決するには、次のような実験をやってみればよいと思われる。人間の言葉の音波列を分析して、その組成分の中からその基音ならびに低いほうの倍音を除去して、その代わりに、もとよりはずっと振動数の大きい任意の音をいろいろと置き換えてみる。そういう人工的な音を響かせてそうしてそれを聞いてみて、それがもし本来の言葉とほぼ同じように「聞こえ」たとしたなら、その時にはじめて上記の考えがだいたいに正しいということになるであろう。
これはあまりにも勝手な空想であるが、こうした実験も現在の進んだ音響学のテクニックをもってすれば決して不可能ではないであろう。
それはとにかく、以上の空想はまた次の空想を生み出す。それは、九官鳥の「モシモシカメヨ」が、事によると、今ここ
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