自分などはもとよりこの六《むつ》かしい問題に対して明瞭な解答を与えるだけの能力は無いのであるが、ただ試みに以下にこの点に関する私見を述べて先覚者の教えを乞いたいと思う次第である。
 科学の進歩に伴う研究領域の専門的分化は次第に甚だしくなる一方である。それは止むを得ないことであり、またそういう分化の効能が顕著なものであるということについては今更にいうまでもないのであるが、この傾向に伴う一つの重大な弊は、学者が自分の専門に属する一つの学全体としての概景を見失ってしまい、従って自分の専門と他の専門との間の関係についての鳥瞰的認識を欠くようになるということである。それだけならば、まだしもであるが、困ったことには、各自が専門とする部門が斯学《しがく》全体の中の一小部分であることをいつか忘れてしまって、自分の立場から見ただけのパースペクティヴによって、自分の専門が学全体を掩蔽《えんぺい》するその見掛け上の主観的視像を客観的実在そのものと誤認するような傾向を生ずる恐れが多分にあるのである。平たく云えば、自分の専門以外の部門の事柄がつまらなく、自分の専門だけが異常に特別に重大に見えて来るのである。
 
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