うと、それは論文の「価値」というものの批判が非常に複雑困難なものであって、その批判の標準に千差万別があり、従って十人十色の批評者によって十人十色の標準が使用されるから、そこに批判の普遍性に穴があり、そこへ依怙《えこ》の私と差別の争いが入り込むのであろう。
ある学者甲が見ると相当な価値があり興味があると思われる一つの論文が、他の学者乙の眼から見るとさっぱり価値のない下らないものに見えることがあり、また反対に甲の眼には平凡あるいは無意味と映ずる論文が、乙の眼には非常に有益な創見を示すものとして光って見えることが可能であるのみならず、そういう実例も決して珍しくはないのである。
一体どうしてそんなことがあり得るか。この疑問はただに学界以外の世人のみならず、多くの学者自身によっても発せられるであろうと想像する。この疑問の解答が一般に知られていないということが、学位をめぐるあらゆる不都合な事件の発生の胚芽《はいが》となり、従っては一国の学術の健全な発達を妨害する一つの素因ともなり得るかと思われる。それ故にこの疑問を解くことは我国の学問の正常な発達のために緊要なことではないかと思われるのである。
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