てなんらの価値がないものであったり、あるいは明白な誤謬《ごびゅう》に充ちたものであったとしたらどうであろう。たとえ公然と表立ってそれを指摘し攻撃する人がないとしても、それを審査し及第させた学者達は学界の環視の中に学者としての信用を失墜してしまわねばならないし、その学者の属する学団全体の信用をも害しない訳には行かない。従って審査委員自身は平気で涼しい顔をしていても、他の同僚が知らん顔をしてはいられなくなるであろう。
今度新聞で報ぜられた事件にしても事実は少しも知らないが、ただ問題となった学位論文が審査を及第通過している以上、その論文がともかくも学術上なんらかの価値あるものであり、少なくも全然無価値ではなく、全部が誤謬ではないであろうということはほとんど疑う余地のないことであろうと思われる。
さて、それほどに事柄が明白ならば、一体どうして、そんな不祥な問題が発生し得るか。価値のあるものなら通過し、ないものは通過しないと決まっているのなら、私利私情などというものの入り込む余地はないではないかということになる。正にその通りである。それだのに実際上は事柄がその通り簡単にゆかないのは何故かとい
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