た一杯飲んだだけであったが、しかしその馴れない酒を飲んだという事と、間もなく潜水者病に罹ったこととの間に何かしら科学的に説明出来るような関係があったのではないかというような気がして、妙に不安な暗い影のようなものが頭につきまとって困った。何かの因縁が二十年前とつながっているような気もした。それがちょうど中元の頃で、この土地の人々は昔からの風習に従って家々で草を束ねた馬の形をこしらえ、それを水辺に持出しておいてから、そこいらの草を刈ってそれをその馬に喰わせる真似をしたりしていた。この草で作った馬の印象が妙になまなましく自分のこの悪夢のような不安と結びついて記憶に残っているのである。それから間もなく東京に残っていた母が病気になったので皆で引上げて帰って来る、その汽車の途中から天気が珍しく憎らしく快晴になって、それからはもうずっと美しい海水浴日和がつづいたのであった。この一と夏の海水浴の不首尾は実に人生そのものの不首尾不如意の縮図のごときものであった。
 それから後にも家族連れの海水浴にはとかく色々の災難が附纏《つきまと》ったような気がする。そのうちにまた自分が病気をしてうっかり海水浴の出来な
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