がある。鍔広《つばびろ》の藁帽を阿弥陀に冠《かぶ》ってあちら向いて左の手で欄《てすり》の横木を押さえている。矢絣《やがすり》らしい着物に扱帯《しごきおび》を巻いた端を後ろに垂らしている、その帯だけを赤鉛筆で塗ってある。そうした、今から見れば古典的な姿が当時の大学生には世にもモダーンなシックなものに見えたのであろう、小杉天外の『魔風恋風』が若い人々の世界を風靡《ふうび》していた時代のことである。
 大正の初年頃|外房州《そとぼうしゅう》の海岸へ家族づれで海水浴に出かけたら七月中雨ばかり降って海にはいるような日がほとんどなく、子供の一人が腸を悪くして熱を出したりした。宿の主人は潜水業者であったが、ある日潜水から上がると身体中が痺《しび》れて動けなくなったので、それを治すためにもう一遍潜水服を着せて海へ沈めたりしたが、とうとうそれっきりになってしまった。自分等は離屋《はなれ》にいたのでその騒ぎを翌日まで知らなかった。その二、三日前の夜にその主人が話しに来たとき自分も二十余年前の父の真似をして有り合せのベルモットか何かを飲ませたら、この男もやはりこんな酒は始めてだと云って喜んで飲んだ。多分たっ
前へ 次へ
全11ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング