行くのには乗合の屋形船で潮時でも悪いと三、四時間もかかったような気がする。現在の東京の子供なら静岡か浜松か軽井沢へでも行っていたのと相当する訳である。交通速度の標準が変ると距離の尺度と時間の尺度とがまるきり喰いちがってしまうのである。
 その頃にもよく浜で溺死者があった。当時の政客で○○○議長もしたことのあるK氏の夫人とその同伴者が波打際に坐り込んで砂浜を這上《はいあ》がる波頭に浴しているうちに大きな浪が来て、その引返す強い流れに引きずり落され急斜面の深みに陥って溺死した。名士の家族であっただけにそのニュースは郷里の狭い世界の耳目《じもく》を聳動《しょうどう》した。現代の海水浴場のように浜辺の人目が多かったら、こんな間違いはめったに起らなかったであろうと思われる。
 溺死者の屍体が二、三日もたって上がると、からだ中に黄螺《ばい》が附いて喰い散らしていて眼もあてられないという話を聞いて怖気《おじけ》をふるったことであった。
 海水着などというものはもちろんなかった。男子はアダム以前の丸裸、婦人は浴衣《ゆかた》の紐帯《ひもおび》であったと思う。海岸に売店一つなく、太平洋の真中から吹いて来る
前へ 次へ
全11ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング