こかの小学校の先生であったと思う。自分で魚市場から買って来た魚をそのまま鱗《うろこ》も落さずわたも抜かずに鉄網で焼いてがむしゃらに貪《むさぼ》り食っていた。その豪傑振りをニヤニヤ笑っていたのは当時|張良《ちょうりょう》をもって自ら任じていたKであった。自分の眼にもこの人の無頓着ぶりが何となく本物でないように思われた。
 夕方内海に面した浜辺に出て、静かな江の水に映じた夕陽の名残の消えるともなく消えてゆくのを眺めていると急に家が恋しくなって困ることがあった。たった三里くらいの彼方のわが家も、こうした入江で距《へだ》てられていると、ひどく遠いところのように思われたのであった。その後故郷を離れて熊本に住み、東京に移り、また二年半も欧米の地を遍歴したときでも、この中学時代の海水浴の折に感じたような郷愁を感じたことはなかったようである。一つにはまだ年が行かない一人子の初旅であったせいもあろうが、また一つには、わが家があまりに近くてどうでも帰ろうと思えばいつでも帰られるという可能性があるのに、そうかと云って予定の期日以前に帰るのはきまりが悪いという「煩悶」があったためらしい。その頃高知から種崎まで
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