tがあるからいいが、しかし三越でも猫《ねこ》や小猿やカナリヤを販売したらおもしろいかもしれない。少なくも子供たちに対する誘惑を無害な方面に転じる事になるだろうし、おとなに対しても三越というものの観念に一つの新しい道徳的な隈取《くまど》りを与えはしまいか。生き物だから飼っておくのはめんどうだろうが。
「三越に大概な物はあるが、日本刀とピストルがない」と何かの機会にたいへん興奮してP君が言った事がある。「帯刀の廃止、決闘の禁制が生んだ近代人の特典は、なんらの罰なしに自分の気に入らない人に不当な侮辱を与えうる事である。愚弄に報ゆるに愚弄をもってし、当てこすりに答えるに当てこすりをもってする事のできる場合には用はないが、無言な正義が饒舌《じょうぜつ》な機知に富んだ不正に愚弄される場合の審判者としてこの二つの品が必要である。」これには自分はだいぶ異論があったように記憶する。しかしその時自分の言った事は忘れてただP君のこの言葉のみが記憶に残っている。
 五階には時々各種の美術展覧会が催される、今の美術界の趨勢《すうせい》は帝展や院展を見なくてもいくぶんはここだけでもうかがわれる、のみならずそういう
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