ェ欠乏したからよんどころなくあんな物ばかり製造しているのだとも言った。もしこの二人のいう事がどちらもほんとうであるとすると、われわれの趣味や好尚《こうしょう》は存外外面的な事情によって自由に簡単に支配されうるものだと思う。もし試みに十年ぐらいの期間でもいいから、あらゆる染料の製造と販売と使用を停止してみたら、われわれの社会的生活にどんな影響が生じるだろう。実行はむつかしいが、こういう仮設を前提として一つの思考実験を行なってみる事は、はなはだおもしろくもあり有益でありはしまいか。もっともそんな事はもう社会学者や経済学者たちがとうの昔にやってやり古した事かもしれない。たぶんそうだろうと思われる。そうでなくては成り立ちそうもない学説やイズムがわれわれの目に触れるほどだから。
 三越の四階に食堂がある、たしか以前は小さな室であったのが、その後拡張されて今のような大きな部屋《へや》になったと思う。ちょっと清潔に簡便に食欲を満足させ、そうして時間をつぶすに適当なようにできている。普通の日本人の食事時間でない時でも不断ににぎわっている。草花鉢《くさばなばち》を飾ったり、夏は花を封じ込めた氷塊がいくつ
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